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古い話を蒸し返さない

ある日、運転しながらカー・ラジオで人生相談を聴いていた。30分も経たないうちに3人のリスナーが「配偶者がやったこと」または「やりそうなこと」の悩みを電話で相談してきた。3人が3人とも1年以上も前に起きたことで悩んでいた。

ある女性は、2年前に夫が「浮気したかもしれない」悩みを話していた。それがいまだに頭から離れず、どうしたらいいかと言う。もう一人の女性も数年前から夫がどことなく冷ややかになり、自分の話を聞いてくれないと訴え、自分のどこが悪かったのかと堂々めぐりの悩みをロにした。

そこに3人目の男性が登場し、結婚して1年目に妻がクレジットカードを使いまくったと打ち明けた。彼女がまた同じことをするんじゃないかと心配で夜も眠れないという。彼女の浪費癖は治まっているものの、いまだに「妻が2人の将来に不安をもたらした」ことを怒っているのだ。

「古い話を蒸し返すな!」とどなりたくなったが、そのラジオ番組の女性回答者は逆のアドバイスをした。彼らにもっと悩みをつきつめて分析するようにうながし、さらに疑念と不安と心配を煽るようなアドバイスをしたのだ。「もうパターン化しているとは思いませんか?」とか「あらまあ、そんな話を前にも聞いたわ。気をつけないと」といった具合に。

別に浮気や、人の話を聞かない癖や、浪費癖についてとりあげたいわけではない。この3つが夫婦や恋人関係に支障をきたすのは確かだが、やり直しのきかないことにいつまでもこだわる姿勢が問題なのだ。これが相手との関係をどれほど悪化させるか、ほとんどの人は気づいていないらしい。

過去を蒸し返す人と一緒にいるのがどんなに退屈かを忘れ、こちらに過剰な期待をかけたり、誰にも人間らしい欠点はあるという事実を認めようとしない人を愛しつづけるのはとても困難なことを、みんな忘れてしまう。「もうたくさんだ」という言い方は、ラジオで人生相談した3人にかぎらず、私達の誰にでもあてはまる。

人間関係は、過去の出来事を蒸し返さなくても充分に大変だ。済んでしまったことをくよくよ思い悩むときは、頭の中が不安と疑念とフラストレーションでいっぱい・・・愛情のかけらもない状態になっている。そのフラストレーションは他の場所にも溢れ出し、ついにはあらゆる「小さいこと」にくクヨクヨまくるようになる。

といっても頭を砂に突っ込んで何も聞かないフリをしろというのではない。私達はみんな失敗をしでかし、完璧にはほど遠く、ときには判断を誤ることもある。だが寛容と無批判という理想の状況をつくり出せば、そんな私達でもなんとか上手くやっていける。

言葉を換えれば、愛する人が何らかのミスをしでかしたとき、それが大ごとにならないよう愛情をもって支えることか最善の道だ。そうすれば2人の関係は傷つかずに守られ、あなたのパートナーも安心して問題について話し合えるだろう。

だから、あなたがまだ過去の問題にこだわっているとしたら、今こそそれを水に流してしまおう。否定的な感情にしがみつかず、許して先に進む決意をしよう。そうすれば、前よりもっと豊かで正直で愛情に包まれた関係に変わっていくはずだ。

— posted by Rick at 07:11 pm  

「親友関係」を心がけよう

夫婦がこれまで楽しくやってこられた理由を一つだけあげろと言われたら、何よりもまず、私たちが親友だという点につきるだろう。間違えないでほしいが、単に親友というだけではない。お互いに本気でかかわり合い、相手に対して忠実で、子どもたちへの強い愛情と価値観と友人を共有し、魅力と尊敬を感じ合っている。運がいいことに、精神的な価値基準や信念も似ている。だか、こういったすばらしい要素がすべて備わっているからといって、愛が保証されているとはかぎらない。

互いに忠実だといっても、教会に行く車の中で口論するカップルはたくさんいる。価値観を共有するすばらしいカップルは無数にいるが、たえず相手にイライラしている。共通の友人や趣味や価値観をもち、魅力を感じ合っているカップルも数えきれないが、彼らもケンカし、嫉妬し、どうにも長くつきあっていけないようだ。

しかし、まず最初に親友でいようと決めると、すべてかうまくいきはじめる。親友は支え合う、我慢強くて親切で、欠点を補い合おうとする。会話も弾むし相手の話をよく聞く。まじめな話をすることもあるし。楽しく笑い合うこともある。つかず離れずのところにいて楽しいときを共有し、困難なときは助け合う。

親友でいるための最善の方法は、それが2人の関係をどれはどよくしてくれるか」理解することにつきる。「いい関係でいるためには親友でいればいい」と確信したら、あとは簡単。あなたの親友に対するのと同じ優しさ、感謝、尊敬をもってパートナーに接するのが目標だと自分に言い聞かせればいいのだ。疑問が生じたらこう自分に聞いてみよう・・・「この人が私の親友だったら、私はどう反応し、どう行動するだろう?」と。

「パートナーと私は親友だ」とロにする人は多いか、行動が伴わない人が殆どだ。その言葉とは逆に、パートナーを嫉妬や期待や要求でがんじがらめにし、感謝や尊敬や思いやりも示さない人が多い。まるで相手を所有しているかのように振る舞い、こうなってほしいという理想のイメージを押しつけている人がいかに多いことか。

あなたの親友が「仕事を変えるのが夢だ。収入は減るだろうけど、もっと幸せになれると思う」とか「海のそばに住むのが夢なんだ」と言ったとしたら、あなたは多分、理解して励ますだろう。だが、パートナーか同じことを言ったとしたら?同じように理解して励まし、実現するよう協力するだろうか?反射的に否定し、「そんなこと無理だよ。反対だね」と心で思ったり口にしたりしないだろうか?

いちぱん大切なのは、あなたの答え方だ。パートナーにやりたいことをすべてやらせるのは不可能だし望ましくもない。人はいつも転職したり引っ越せるとは限らない。パートナーの望みどおりにすべきだと言っているのではなく、親友との関わり方を思い出すことか大切だと言いたいのだ。夢が実現するかどうかはともかくとして、パートナーが、あなたに支えられていると感じること・・・肝心なのはそこなのだ。

まず親友でいることはすばらしい贈り物であり、めざすに値する目標だとはっきり言える。親友でいるかぎり、中間地点で折り合いをつけることもできるし、互いの夢を語り合うこともできる。この戦略を実行するにはいままでのやり方を反省していくつかの習慣を変える必要かあるが、やるだけの価値はあるはずだ。

— posted by Rick at 12:22 pm  

批判はユーモアを持って軽く受け流そう

日ごろのフラストレーションを吹きとばす妙薬は健全なユーモア感覚につきる。とくに自分を笑いとばす能力だ。長い間つきあっていれば、相手のことか手にとるようにわかるときがやってくる。奇妙な癖、反応の仕方、自分勝手を決め込む態度などがパートナーにお見通しとなる。どんなに努めても自分の本当の姿は隠せないものだ。

自分を笑いとばすことができないと、人生はでこぼこ道の長旅になってしまう。欠点をからかわれたり指摘されるたびに、身構えたり自己弁護に走ったりするからだ。そうなると欠点が誇張されて実際より大きく捉えられてしまう。さらに相手の言葉への反応が二人の関係に新しい問題を生じさせ、小さいことか大ごとになる。

幸せそうなカップルを見てみると、二人とも自分を笑いとばせる能力をもっていることに気づくだろう。どちらも自分の欠点が顔を出したとき、笑って軽く受け流せる。そうなると欠点や弱点を冗談にする余裕が生まれてくる。

かなり熱い口論の場でも、どちらかかユーモアを忘れなければ、ほとんどの場合、口論は立ち消えになる。いい例をあげよう。ある夫婦と一緒にくつろいでいたとき、奥さんがご主人に「あなたはしゃべりすぎよ」とキツイ忠告をした。すると彼は笑って。とても穏やかに「そうだね、一つ会話を寄付したほうがいいな」と軽く受け流した。彼は妻の忠告に含まれている一粒の真実に気づき、謙虚に自分の欠点を見つめて笑うことで、口論に発展させずにすませた。

同じような会話がみっともない口論になるのを幾度も見てきた。くそまじめに捉えて自己防衛に走り、ユーモアのセンスを失わずに謙虚に自分の癖を笑うことができないと、相手のコメントにムッとして反論し、たちまち口論になる。たとえ反論しなくても気分や口調や態度がころりと変わるため、すぐ相手に気づかれる。

あなたがどんなにすばらしい人でも、あなたのパートナーはあなたとほとんどの時間をともに過ごしているのだ。彼なり彼女かキツイ忠告を口にしたときは、一粒の真実が含まれているかもしれない。逆に、それが的はずれであっても、ただ笑って受け流すことか大切だ。自分を笑いとばすことができれば、周りも気が楽になる。パートナーが気楽な雰囲気をつくることで、二人の関係はもっと愛情深くなり、何よりも毎日か楽しくなるだろう。

— posted by Rick at 11:46 pm